四十路元年のオンナの腹の中


by umitai513
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【初産のキロク】

やっとこさ、まとめた『初産のキロク』。
超長文。
ダラダラと綴っております。




8月22日。午後3時頃。自宅にて。
「今日も産気0やなぁ」と思っていた、ら、出血。
その出血が所謂『おしるし』なのか、
それとも危険な出血なのか判断できず、
ダンナさんにTELで相談し、念の為入院の用意を持って病院に行くコトに。

午後4時過ぎ頃。病院に到着。
産婦人科で診察をしてもらうと、やはり出血は『おしるし』とのコト。
というコトはあと数日で産気付くはずやねんけど、
もう予定日を10日も過ぎて羊水が少なくなってきているので、
即日入院となった。
人生初の入院が、『お産』。実にめでたい。

夜7時頃から23日未明。内診室、病室にて。
まだ開いていない子宮口を開く処置を施すことになった。
この処置が結構痛い。
5分おきくらいの鈍痛(陣痛)がずっと続くので、
夜中全然眠れなく、未明になって気力が遠のいてやっと眠れた、ってな状態。
個室でヨカッタとつくづく思った。

8月23日。午前。病室にて。
朝イチにダンナさんが病室に到着。
二人とも待ちに待ったお子との対面を目前にしてニヤニヤ。
ほどなくして、MY両親が前祝のケーキやらフルーツ、
サンドイッチや稲荷寿司などを山盛り持参しての到着。
今から挑む大事業に備えいっぱい食べる。
余裕と食欲たっぷりのワタシ。

午前11時頃。陣痛室にて。
午前中の内診を終え、いよいよ陣痛室へ。
陣痛誘発剤の点滴が開始される。
この時点でブログに記事をアップ。『お産速報。第3弾』。
始めは点滴量も少なくてまだまだ余裕だった。
で、助産師さんに点滴パックの量と時間について質問すると、
「2分の1パックも使わないと思いますよ」との答え。
というコトはほんのあと数時間で分娩本番か。と、気軽に思った。

正午頃。陣痛室にて。
どんどん点滴を落とす数量が増えて行き、いよいよ陣痛がキツクなった。
間隔は5分から3分。
確かに痛いがまだ少し余裕だったので、カロリーメイトなどを食べる余裕があった。

午後12時半頃から。陣痛室にて。
もっともっと点滴を落とす数量が増えてきた。
従って陣痛が厳しくなった。
間隔が自分ではもう分からないくらいひっきりなしになった。
ダンナさんの話によるとこれから先は最後までずーーと1分おきになっていたとか。恐ろしい。

時刻不明。陣痛室にて。
尋常じゃない痛みが1分おきにワタシを襲い続ける。
でも、子宮口がなかなか開かずジリジリとした気持ちになる。
助産師さんが『いきみ逃し呼吸法』を一緒にしてくれ、
しかも、痛くてツライ所をマッサージをしてくれた。
これにはホント助かった。
ダンナさんもMY母もマッサージを必死にしてくれたけれど、
ポイントがズレていたからめちゃイライラした。
で、やっぱ、「プロってスゴイ。。」と思った。
助産師さん達、ホンマ、感謝です。

もう何時間が過ぎたのか分からない。陣痛室にて。
キツイ陣痛がひたすら続く。
子宮口はまだ全開しない。
点滴のパックが2パック目に交換される。
ひどくなる痛さのあまり、悶え苦しんで点滴の針が折れたが、
陣痛が痛くてその程度の痛さは全く感じない。
陣痛の最中で気が遠くなって時々意識が飛ぶ。が、
クスリによって定期的に襲ってくる陣痛の痛みにより目が覚める。。。
ってな、繰り返し。

時刻不明。陣痛室・内診室にて。
1分おきの陣痛が来るが、それでもなかなか全開しない子宮口。
陣痛のさなかに、何度も、何度も、内診室へ行き先生に診てもらう。
誘発の点滴により、移動中にもきっちり陣痛が来るので、
立ちながら悶え苦しむ。脚腰ガクガク。

やはり時刻不明。陣痛室・内診室にて。
始めについてくれた助産師さんと担当のセンセイの勤務交代の時間になった。
2パック目の点滴がどんどん減っていく。
もう何時なのか分からない。
引き継いでくれたセンセイと助産師さんも何度も子宮口のチェックをしてくれたが、
8センチの壁は厚く時間だけがジリジリと経ってイク。
で、お子の状況をモニターでチェックすると、
本来ならば、お子の顔の向きがワタシの背中側に顔を向けていないといけないにも関わらず、
ワタシの体の正面を向いている事が判明。
つまり、回旋異常。
なので、お子が降りて来ても降りきらないとのコト。
それを聞いた時、目の前が真っ暗になり絶望的な気持ちになった。
「一体、強制的に襲ってくるこの陣痛にいつまで耐えなければいけないの・・・?」
と、途方に暮れた。

やはりやはり時刻不明。陣痛室にて。
で、お子の顔の向きを背中に向けるべく、
ベッドに4つんばいの格好になり陣痛に耐えた。
キツイ体勢。もう帝王切開でもなんでもイイから早く産みたいと思った。
で、腰をさすってくれているダンナさんに「他に産む方法はないのか聞いて」と訴えたが、
ダンナさんは「あと少しだから頑張れー」としか言わない。
この時、いつもなら、「よし、センセイに聞いてあげる」と言ってくれるはずなのに、
「頑張れ」と言うだけで、カエルの虚脱をワタシに握らせるなんて変だと思った。

後で分かったコト。
1分刻みの陣痛に長時間悶え苦しんでいるワタシを見ていられなくなった彼はセンセイに
「切ってやってクダサイ」と頼んだらしい。
でも、既にワタシは多くの出血をしており、子供がだいぶ下まで降りて来ているので、
帝王切開にすると、もう一度下から子供をオナカの方に押し戻さなければならず、
そうすると今以上に出血して母体が危険になると言われたのだとか。
そして、それでも、もし10時11時まで待って子宮口が開かなければ、
危険でも手術に踏み切ると説明されたそうだ。
道理で彼はワタシに何も言えなかった筈だ。


午後9時前。陣痛室にて。
子宮口チェック。
「全開しないと産みたくても産めないからもう少しガンバッテ。赤ちゃんもガンバッテいるから」
と、助産師さんに励まされる。
お子に会いたい一心で更に耐え続けた。

午後9時過ぎ。陣痛室にて。
子宮口チェック。
「開いた!よし、分娩室に行こう!」という助産師さんのコトバに一気に救われた。

午後9時過ぎ。分娩室にて。
とうとう分娩台に乗った。
「おーい、ココは天国かい?!」ってな爽快な気持ちだった。
もう、あの尋常じゃない陣痛から開放される。
ガマンせずにいきみ放題だ。
ここまで来たらあとはセンセイや助産師達さんが取り上げてくれるだろう。
ワタシが出来ることは助産師さんの指導のもと、陣痛の波にのって力を入れるだけだ。
ダンナさんもカエルの虚脱も立会ってくれている。
もうすぐお子に会える。ウレシイ。
でも、やっぱり、赤ちゃんの顔の向きが正常になっておらず、なかなか出てこないので、
いつもニュートラルなテンションのセンセイが何度も何度もワタシのオナカに乗って、
すんごい力で赤ちゃんを押し出そうとしてくれていた。
そして、想像したくもないが、会陰切開もザックリジョキジョキ施されていたらしい。
でも、助産師さんに「上手にいきめているから次の陣痛で産もうね、ちゃんと産めるからね」
と勇気付けてもらった。すんごく心強かった。

午後9時半過ぎ頃。分娩室にて。
それでもやっぱり赤ちゃんが出てこない。
で、とうとう赤ちゃんを吸引することになった。
陣痛の波。
ワタシ「うーーーん」。
センセイ、オナカをぎゅーーー。
吸引機きゅーーん。
一瞬、熱く燃えるようなモノが通り抜ける感触がした。ら、産まれた。
午後9時55分。

午後9時55分。分娩室にて。
「ウソみたい」
センセイや助産師さん達に取り上げられた赤ちゃんを見て初めて思ったコトはそれだった。
で、センセイが赤ちゃんの羊水を吐かせてくれて「オギャーー」の産声。
それを聞いて初めて「ああ、ヨカッター」と思った。
そして、ダンナさんとガッチリと握手。
予想に反して涙は出なかった。
ただ、圧倒的に幸せな気分だった。
その後、一旦、赤ちゃんを抱かせてもらい、産後の処置をしてもらう間中、
赤ちゃんが分娩台のそばで寝ていたので、ずっと顔を見ていた。
産後の処置も痛かったけれど、ひたすら穏やかな気分でいられた。赤ちゃん効果絶大。
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午後10時過ぎから11時過ぎ頃。分娩室にて。
産後の処置が終わった時に、赤ちゃんにはじめての授乳をした。
誰に教えてもらったワケでもないのに、
チューチューと一生懸命に吸ってくれたのがスゴク嬉しかった。
この嬉しさは一生忘れない。絶対に。

と、まあ、以上が回旋異常の出産だったけれど、
めでたしめでたしな初産のキロクなのでした。


ちなみに、後日、助産師さんに聞いた話では、
回旋異常の陣痛は尋常じゃなく痛いらしい。
予め知っていなくてヨカッタ。
知らぬがホトケ。
知らなかったからこそ、1分おきの陣痛を9時間も耐えれたのだと思う。
で、今はあの陣痛の痛さを思い出すことが出来ない。
それは、よく聞く、「赤ちゃんの顔を見たら痛さを忘れられる」という理由からではなく、
『忘れられない痛さ』を遥かに通り越した、『覚えていられない痛さ』だったから。
でも、無事に産めたから痛い思いをしてヨカッタと思う。今なら。
by umitai513 | 2005-09-26 12:14 | 初産のキロク